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ニセコビレッジ


パウダーの聖地として日本国内で知られていたニセコが、スキーの理想郷として海外に囁きが広まったのは、わずか1990年代に入ってからのこと。今日のニセコは、贅沢なまでにゆったりとした時の流れる場所として、アウトドア派や、アートファン、またはグルメな方々の天国として国内外に知られています。

ザ・ビレッジ
ニセコビレッジについて

ニセコビレッジについて

ニセコビレッジは、ニセコアンヌプリの麓に位置する4つのスキー場がリンクしたニセコユナイテッドの中心に位置しています。その広大な敷地の中には、宿泊施設、温泉が併設されたスパ、ダイニングとショッピングエリア、インターナショナルスキースクール、そしてスノーアクティビティなど、数々のプログラムを提供しております。グリーンシーズンには、羊蹄山を望むゴルフコースやバラエティーに富んだアウトドアクティビティーと通じ、快適なリゾートライフをご堪能いただけます。年間を通じて美しく、手つかずの自然景観の中に佇むニセコビレッジは、いつでもシーズン真っ只中です。

ニセコ連峰

ニセコ連峰

ニセコはニセコ連山の主峰「ニセコアンヌプリ」と、その南東の麓を流れる尻別川、そしてニセコのランドマークとしてそびえる「羊蹄山」(蝦夷富士)に挟まれるように位置するエリアです。1963年、ニセコは雄大な山々と澄んだ川、起伏のある農村風景などを特徴とするニセコ積丹小樽海岸国定公園として指定されました。日本海と内浦湾からさほど遠くない場所に位置するニセコでは、豊富で新鮮なシーフードもお楽しみ頂けます。ニセコを拠点に、海岸沿いのドライブもお楽しみ頂けます。

ニセコストーリー

ニセコストーリー

「ニセコ(ニセイ・コアン)」とは、アイヌ語からつけられたもので「切り立った崖(の下を流れる川)」という意味があります。658年、飛鳥時代の海将、阿部比羅夫がニセコ町近隣の倶知安町比羅夫に水軍を率いて蝦夷を統治、後方羊蹄(しりべしようてい)に領地を構えて政所としました。明治時代になり国策として北海道の開拓が重要視されると開拓は急速に進み、ニセコ町の開拓も始まりました。ニセコ町は、1964年までは「狩太(かりぶと)町」という名称でした。「狩太」という町は、1901年、隣の真狩村(まっかりむら)から分村し誕生、新しい村となる地域で最も栄えていた地区が「真狩太(まっかりぶと)」と呼ばれていたので、その地名の一部を利用し「狩太村」としました。1963年、ニセコアンヌプリ一帯が「ニセコ・積丹・小樽海岸国定公園」に指定されたと同時期に、町名を変更するまでにいたり、1964年に日本で唯一のカタカナの町「ニセコ町」が誕生することになりました。

農業のルーツ

農業のルーツ

ニセコでもっとも早く開拓事業に着手したのが、岩手県出身の農場主、松岡陸三です。1901年(明治34年)、福井県から小作を募集し先住農家を拠点にしながら仮小屋を建て開墾、現在のニセコ町市街地の一部及び付近の開墾がすすみ土地を付与され、現在のニセコ町の基を作りました。また、1922年(大正11年)、小説「カインの末裔」「生れ出づる悩み」などで知られる文豪、有島武郎は、入植者である父から引き継いだ450ヘクタールもの広大な農地を、土地共有という形で小作人に無償で解放、当時の社会に大きな反響を呼びました。ニセコの農業の特徴である農作物に対する熱心さは、地元の農家に今でも受け継がれています。ちなみに現在、有島記念館の建つ場所は、有島の出世作「カインの末裔」の舞台ともなった場所です。

交通アクセス

交通アクセス

ニセコビレッジへは、新千歳空港が最寄り空港となっています。そこからニセコビレッジへのアクセスは各種交通機関をご利用いただけます。

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